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今回は、愛が子供に届く三段階のステップについて紹介します。その第一は、愛することで「個性真理体」を確立する。第二に、「責任分担」の自覚を通して愛が届く。第三は、「人の為に生きる」喜びを教えて愛が届く。以上の三点を学んでみましょう。
まずは第一の、“愛することで「個性真理体」を確立する”についてです。
皆さんは、「個性真理体」という言葉をご存知でしょうか。これは二つの言葉から構成されています。「個性」と「真理体」です。まず「個性」というのは、神様と私たちは親子ですから、親なる神様は子供に世界にたった一つの特別な個性を与えてくださり、その個性を愛してくださっているわけです。ですから「個性」というのは、私たちの他のどこにもない「独特性」のことです。また、「真理体」というのは、神様が私たちに与えてくださった、誰もが持つ普遍的に共通するものです。人間には目があり、口があり、鼻が誰にでも同じように顔についています。すなわち、「真理体」というわけです。ただ一方で、目や口や鼻の大きさや形や太さなど、同じ人はいません。これが「個性」ということになります。
「個性真理体」という考えは、自分の存在を肯定する感覚を育てます。子どもが信頼と安心を感じて、何事にも前向きになるのです。
私たちは、一人ひとりが、「個性真理体」として神様が愛で育み、認めていただいている尊い大切な神様の子女です。また、神様は家族というものも同じように愛と真理で育んでくださっているわけです。
さて、子供が「個性真理体」として認められるためには、家庭の中で、
第一に、「自分はここにいるべき存在だ」と感じることが大切です。
第二に、「周りの家族は自分の存在を喜んでくれている」と感じることです。
第三に、「自分の存在が家族に幸福をもたらしている」
第四に、「私は自分が好きだという感覚を持つ」
第五に、「自分を愛してくれる人がいる」
という実感が大切になります。
子供がこのような内容を実感してこそ、「個性真理体」として家庭に存在できるようになります。私たち親としては、子供の居場所を家庭の中に準備してあげることが責任であるというわけです。
しかし、現実は様々な環境の中で、また最も大切な親子の絆が薄くなることによって、多くの子女たちは心が正常に、つまり素直になれなくなってしまいます。それによって、子供の口から「めんどくさい」とか、「疲れる」とか、「自分が好きになれない」とか、「忘れた」とか、「苦労したくない」という言葉が多く出てくるようになります。これは、愛の減少感を感じている結果としての表現なのです。つまり、「個性真理体」として認められていないと感じているのです。このような言葉を発することで、自分の気持ちをもっとわかってほしいというメッセージを、子供ながらに親たちに送っているのです。
ひとつの例を紹介します。26歳の独身の女性に一対一で4日間講義をしたことがあります。講義をしながらいろいろと話をしましたが、その女性は「めんどくさい」とか「忘れた」とか「疲れる」という言葉が多いのです。なかなか気持ちが前向きにならないのです。三日目は「山にでも登ったらいいのでは」と提案してみましたが、「疲れるから」とか、「めんどくさい」と言って受け付けてくれませんでした。しかし本人は、仕事では残業しても気にならないとのことでした。どうしてなのかを聞いてみると、お金になるからとのことでした。それを聞いて、彼女の価値観が心を中心にしたものから、お金を中心にした考え方に変化しているのではないかと心配になりました。
それで、4日目にもう少し家庭のことを聞いてみると、最初は「忘れた」と言っていましたが、粘り強く聞いていくと、実は母親がいつも妹と比較して、「どうしてそんなに暗いのか」とか「することが遅い」と本人に言っていたというのです。幼少期に「個性真理体」として受け止めてくれる環境がなかったのです。そして愛の減少感に敗北してしまっていたのです。それゆえに、「めんどくさい」とか「疲れた」とか「忘れた」ということを言っていたのです。このように、子供の心はとても繊細なのです。親は、子供が「個性真理体」としての自覚ができるように、環境を整えてあげましょう。それが親の重要な責任の一つなのです。
多田聰夫